ろんじえぱぱです!
10月1日から実家に戻り、娘、祖父母と三人で新生活を始めます。
今は休日の度にマンションと実家を往復し、娘と私の私物を運ぶ引っ越しの毎日(;´Д`)
なかなか休む暇がありませんが今後の新生活に向けて気持ちを新たにし、前向きな気持ちで毎日を過ごしています(*´ω`)
自閉症の将来の夢と一般の将来の夢の違い
今でこそ母は自閉症の育児を受け入れてくれてますが、今でも時折心が弱くなった時に娘に抱いていた夢について嘆くことがあります。
「一昔前はいろいろ娘に対して夢を見てた。学習塾に入れたり、スポーツクラブに入れたりして娘がどのようになるかワクワクしていた。その夢が今でも出てきて、あきらめきれない」と。
「何を今さらと」少し腹も立つのですが、あまり母を憎めないんですよね。なぜなら母は私の一昔前の姿とそっくりで昔私が思ったことを代表して考えや思いを話すので、その気持ちは痛いほど分かるからです。
一般の子なら親や祖父母は子供に対して色とりどりの夢を描くと思います。英語を学ばせたり、スポーツクラブに入れたり、子供の将来に思いをはせながら子供の未来に投資することは祖父母が思い描く夢のひとつでしょう。
有名大学や有名企業に就職して出世してお金を稼いで欲しい。地位の高い職業について名を馳せて欲しいと思うのは、親や祖父母が今も昔も変わらぬ夢であり古今東西変わりません。
しかし自閉症の育児で一番の障壁は、そのような夢をあきらめざるを得ない自分自身との戦いです。自閉症の育児の将来の夢は『自立』。一般の将来の夢は断念せざるを得なくなります。
以前小学一年生の時に水泳を習わせにスポーツクラブに通わせましたが、グループ活動ができず順番に並べない娘はいつもグループの足手まとい。
練習で言うことも聞かないので、あまり行く意義を見出せず結局1年で止めてしまい、現在では放課後デイサービスで娘の発達に合わせてプログラムを組んで療育をして頂いています。
自閉症の教育方法が一般と違う点
自閉症児の将来の夢は一般の将来の夢とは異なり、勉強や受験という目標よりは如何に娘に社会生活を営ませるかが焦点になります。
自閉症児は交流やコミュニケーション能力に難がある為、支援学校でも社会生活を営むために地道なグループワークなどや生活単元など、生活の中で一つでも自分で自立できることを増やすことを目的とする教育プログラムが組まれます。
その活動は以前の私にはあまりにも地味に見えました。
一般の小学校か支援学校の進路に迷っていた時にその活動を見学しましたが、当時あまりにもそこに夢や希望を持てない印象だったことを今でも鮮明に覚えていて、それが一般の小学校に挑戦してみるきっかけになったことを覚えています。
自閉症の教育は社会で自立できるかが焦点
しかし小学生になっても言葉がうまく話せない娘はレジでお買い物をすることもままなりません。
休みのたびに私は娘と共にスーパーに買い物に出かけて、娘にセルフレジを打たせたりしながら、少しずつ日常生活のイロハを教えています。
「JUST DO IT」が私の教育法です。勉強など座ってやるのは苦手なので、如何に日常生活ができるかに特化して娘に少しずつ伝えています(*´ω`*)#自閉症#育児 pic.twitter.com/yWkPyp7M1g
— ろんじえぱぱ (@Longjiepapa) September 26, 2019
それだけでなく、朝の学校前の準備も以前より積極的に自立を促し、今年の前半に比べると自主的な動きが多くなってきて嬉しく感じます(*´ω`)
シングルファーザーになることを決意したことによりより積極的に娘の育児に関わって1ヶ月。最近では朝の出発前の準備も以前に比べて段違いにスムーズになりました。これからも二人三脚で娘が自立できるよう生活を促して行きます(*´ω`*)#育児#自閉症 pic.twitter.com/QZ54Vip5bo
— ろんじえぱぱ (@Longjiepapa) September 26, 2019
今度10月には校外学習があり、スーパーでのお買い物やファミレスでの注文などを学校内での学習の一環として実施される予定です。
これまであれほど地味に見えた自立活動が、今となっては娘にとって自立へのプラスになると考えると嬉しくて仕方ありません!
ただのレジの会計やレストラン注文ですが自閉症児にはすごく難しいんです。
当たり前のことができない。これが一般の方に理解され難い自閉症児の悩みでもあります。
日常生活の家庭内外において、娘を自立の道に少しでも近づかせることに今では育児のやり甲斐を見出し、その一点のみに私のもつ知恵を注力しています。
教育の目的の違いに意義を見出す
私の母にも話したのですが、このブログで強調したいのが教育の意義とやりがいの部分です。
母は私の娘には夢や希望がないと時折嘆きます。まっ気持ちは分かりますがね。ただ果たしてそうでしょうか?
育児や教育のやりがいを難易度で考えた場合、一般の子が有名大学や有名企業に入ったり夢を実現されることは難易度的に非常にハードルが高いですよね。だから両親や祖父母がいろいろ熱心に教育に取り組むと思います。
しかしその難易度の「幅」で考えると、私の何もできない娘が社会の一員になって生活することができることは、一般の子が有名な企業に入ったりすることと同じくらいの難易度の幅なのです。
私の娘は9歳でもまだ2-3語文。時折奇声と感情爆発、自傷行為を繰り返す。
普通に考えれば娘の将来を思えば絶望しかありません。
そんな娘が将来なんでもいいから仕事に従事して初給料もらってきたら、私大号泣しますよ!それこそ一般の子が東大に合格したくらいの感動ものです!
そもそも育児や教育の本来の目的は、立派に社会の一員になり自律して一人前になること。これに尽きます。
将来の夢はその子供がそれぞれ自身の人生の目標として定めるものであり、親がそこに介入できる割合は低いと考えます。
「夢や目標は異なれど、自律して社会の立派な一人前にさせる」
このことこそが人間教育の原点であり、やりがいを見出すべきと考えます。
以前ブログで人生の一大事因縁についてお話ししました。
人はそれぞれ個性があり、その個性を探して、活かして人間社会に貢献して生活を営むという仏教の教えです。
娘が将来何をするのか、何になるのかは全く分かりません。発達障害を持つ親御さんは皆そのことが不安で、将来が何とも言えない霧に包まれている方もいるとお察しします。
できないことを責めるよりもできることを褒めて伸ばす。なるべく娘自身の頭で考えて過度な干渉はやめる。
学問やコミュニケーション能力が欠けている分、何でも自分でやらせて自立心を高めることに注力しています。
不安な将来を考えてばかりいては生産性がなく日常の足元がすくわれます。
将来の不安があるからこそ、いたずらに不安に煽られず、「看脚下」の精神で足元に視線を落とし「今ここ」で何ができるかに焦点を当てて一日一日を有意義に過ごすことが大切です。
「看脚下」についてはこちら
子を持つ両親が思う一般的な子供の将来像をざっくり数式化すると
子供の理想の将来 = 両親が思う子供の理想の夢 + 自律した一人前の社会人
と考えます。
「二兎追うものは一兎も得ず」の格言にあるように、子供の全方向に能力の伸ばすことを考えると挫折します。
自閉症の育児のやりがいや希望は「自律した一人前の社会人」になることのみに焦点を当て、凹凸の凸の部分を伸ばすことに特化していくことが大切と考えています。
発達障害の子の育児に大変役に立つ書です。ぜひご一読を!
まとめ
娘が発達障害と判明してから妻と過ごした日々は決して容易い道のりではありませんでした。
その間二人はメンタルが急成長し、地面に力強い根を張るようになりました。
娘を育てるつもりが、結果として娘によって私たちのメンタルが育てられた形になりました(*´ω`)
娘もさることながら、私の母親も娘同様問題を抱えていて、周りは問題だらけ。
私の母はいつも不安で自分を煽り、プレッシャーをかけ、自分の心を傷つける心の自傷行為をいつも行っています(;´Д`)以前私が自分を責めるクセがあったのも母の影響ですね。生まれ変わった私が母を導くことも娘の育児以外の人生のタスクです(*´ω`*)
— ろんじえぱぱ (@Longjiepapa) September 25, 2019
以前の私ではとても対応し切れたものではありませんが、現在は昔の私とは違う修行を終えた孫悟空のような心境で実家に里帰りします。
これまで妻と共に積み上げた10年間の修行の成果を発揮し、娘と母に希望の光を与え少しでも明るい未来に導くことが私の人生のタスクであると前向きに考えています(*´ω`)
私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。
ろんじえぱぱ