ろんじえぱぱです!
私には父亡き後、一人で私の家から車で10分ほどの実家に暮らしている母がいます。
私たち夫婦が共働きのため、娘の迎えや夕食作りを毎日行ってくれている心強いサポーターです。
母は私の最大の理解者のひとりであり、今の時代では昭和の世代の人情や世間を大切にする絶滅品種であります(笑)
日中は畑仕事に精を出し、夜は娘の世話と一日いっぱい働き続け、とても依然夢見た平穏な老後とはかけ離れた生活を送っています。
親孝行の定義は「親をうやまい、真心をもってよく尽くすこと」とあります。
私が以前思っていた親孝行とは娘を連れて実家に行ったり、一緒に旅行に行く等、とにかく親を楽にして喜ばせることが親孝行と子供の頃から教えられてきました。
親孝行できていない現実
しかし今では私の母がいなくては夫婦共働きのライフスタイルは成り立ちません。
毎日車で私の家に来ては、娘が放課後デイサービスから17時に迎え、その後私たち夫婦の一人が帰宅するまで毎日娘の夕食を担当してくれています。
ありがたいこととは思いながらも、ここまで老後の母親の力を借りなければいけない状況に罪悪感を感じたりした日々もありました。
親子の関係で大切なこと
母は父が亡くなった直後は、娘の自閉症の発覚も相まってうつ病にかかり、私が病院を紹介してその後回復した経緯があります。
娘に対する思い入れも強く、最後まで自閉症をなかなか受け入れられなかったのも母でした。しかし今では娘の現在と向き合い、私と思いを同じくして娘の成長に尽くしてくれています。
娘を通して母親と日々生活を共にするうちに以前の親孝行とはまた違う別の親孝行の形があるのではないかと考えるようになりました。
親孝行より大事なこと
娘を共に支える家族の一員として日々を過ごすうちに親子よりも重要な関係性を見出すようになってきました。
親孝行とはまず私が元気でいること
母はいつでも私が出かける時に「運転気をつけて」「体に気をつけて」と声を掛けます。いつでもです。母にとって私は一人息子であり、父が亡きあと唯一の息子です。
それだけに時には面倒な位、いつもわたしの体調を気遣ってくれ、それだけ私が彼女の心の中で存在感が大きいと考えています。
私ができる第一の親孝行はまず私が健康で毎日過ごしていることと思います。
私はタバコもやめ、お酒も飲みません。自閉症の娘を末永く付き合うために常に最高の体調を目指し、健康オタクになって体重も15kgほど落としました。
私が自分自身の健康と能力の成長のためにしていることが、結果として母にとっての親孝行になっていることに気づきました。
親子の関係から対等の関係へ
息子の私も気づけばもう40代。母にとってはいつまでも子供扱いですが、私はもう子供ではありません。
母と長く接しているといつしか「母」という概念から一人の個人として、一人の人間として母を見ることができるようになったと感じています。
彼女は母でありながらも一人の個人です。一緒に娘を支え合ううちに親子よりも支え合う一個人のパートナーとして母を考えるようになってきました。
母の悩みや愚痴を聞いたり、スマホの知識を教えてあげたり、私が持つ知識や能力で母を助けるようになりました。
子供の時とは違ってお互いが大人になってからそれぞれの「個」と「人間性」を受け入れることは非常に意義深いと感じています。
今では母を親子関係よりも対等な娘を支えるチームの一員と私は考えています。
もし母であるパートナーが困っている時は持てる力をすべて発揮して助けてあげたいと思っています。
親子の会話の時間が増える
20代の頃、私が留学や仕事で海外を転々としていたころは、私の両親は私が海外で仕事を通じて出世したり、私がやりたかった夢を実現することに対して期待を持っていたと思います。
私もそのような夢を実現させることこそが親孝行と思っていました。
20年経った現実は地元企業に働き、自閉症の娘の育児で追われる日々。昔思い描いていた親孝行とはだいぶかけ離れてしまった気がします。
しかしともに娘を支え合う中で自然と親子の会話が増えたのは事実です。
会話を重ねるうちに母の人間性も一人の子を持つ父親として、子供の頃とはまた違った側面で見ることができるようになりました。
母も私との会話を時間を楽しんでいて、時間を共有すること自体が実はさりげない親孝行になっているのかなと感じています。
親孝行は特別に必要ない
私は一度管理職になりましたが、家庭と仕事の両立で残念ながら長続きしませんでした。社会での名声や地位という点では親孝行は果たせませんでした。
反対に母と時間を共有する中でお互いを尊重し合い、時にはぶつかり、母子お互いが娘を通して成長する有意義な時間を過ごしています。
母と私たちがともに全力で娘の成長を見守り、社会の一員になるべく育てることが現在共有する夢になっています。
恩返しより恩送りの精神で
私は今現在母親がしてくれていることには本当に頭が下がる思いでいっぱいです。亡き父を含め、この恩は返すに返せないくらいの大きな大きな恩を頂いています。
日ごろから母には感謝の意を示しますが、それが親孝行とはとても思っていません。
そこで私はその受けた恩を娘にそのまま送ろうと決めました。
自閉症の娘は私の誕生日どころか、日々の疲れ、苦しみなどを察することはほぼできません。たとえ私が病気や仮に死の淵をさまよっても最後は何もできないと思います。
言い換えれば、私は娘からもらえるであろう形としての親孝行はまず期待できないということになります。考えによってはとても悲しくなる時もありました。
見返りを求めない心についてはこちら
しかし私は娘がしかるべきコミュニティをみつけ、なるべく自分の力で生きることができるように精一杯支援することを心に決めています。
そのような心を支えているのは何よりも私が母から受ける愛情です。
母にその愛情を返せない分、たとえ報われなくても無償で子供に尽くそうとする気持ちを後押ししてくれています。
まとめ
現在母は健康、健脚で毎日元気で過ごしていますが、70歳を超えています。
これからの長い娘の育児を考えると、いつまでも頼っていられないのも事実。
亡き父より「死は突然やってくるもの」という事実を痛感し、私の頭の片隅には常にそのことを忘れないようにしています。
しかし反対に自分を含め死を意識することによって、ちょっと娘と一緒に浅草に行ったり、シーワールドに行ったり、今しかできない思い出を一つ一つ大切に母と綴るようになりました。
無論、父と母から受けた愛情と恩恵はとても返しきれるものではありません。
そのかわりに毎日を母と共に娘を支える一人のパートナーとして接し、毎年思い出を少しでも作り、母から受ける愛情と恩を娘に見返りを求めず送り続けることこそが、少しでも母の恩義に報いることができる唯一の方法です。
もちろん人によって思い描く親孝行はそれぞれだと思いますが、娘を立派に育て上げることが、私が現時点で母に対してできる最上の親孝行と考えています。
私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。
ろんじえぱぱ