こんにちは!
ろんじぱぱです!
今日は解禁明けの日曜日、久しぶりに葛西臨海公園に遊びに行きました。これまで見たこともないほど人に溢れかえっていて、まるでGWのような賑やかさでしたね。
ところがこの後、娘がまた自閉症特有の発作が起きて、気分が不安定になり突如大暴れ。勢い余って近くにいた人を叩きに行こうとするなど、突如私たちの気持ちは土砂降りになってしまいました。
昨日から面倒を見ていた娘の母はいたく傷つき、夕食をキャンセルして帰宅。娘は帰宅後も泣き止まず、最後は私自身も母と大ゲンカして、最後はほろ苦い一日になってしまいました。
私の母がよく「私の人生がこんなふうではなかった」と愚痴をこぼすのを見るにつけ、心苦しくなりますが、同時に無理なからぬこととも思っています。
それほど私の娘は手がかかり、一般の人では行動が理解不可能だからです。
私も以前は母と似たような心境でしたが、幸い、数年に渡るメンタル強化により、家庭内では誰よりも心を落ち着けて対応できるようになりました。
それでも私の心が弱いときに、はふと、周りにいる親子の姿を羨望の眼差しで見たり羨んだり、ダメとはわかっていても、つい心に穴が空いてしまう時もあります。
今回はそんな折、ふと読んだ本が私の心に強く印象に残ったのでここに紹介します。
この本に魅せられたキラーフレーズ
置かれた場所で咲きなさい ーどうしても咲けないときは、下へ下へと根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために

著者紹介:渡辺和子
1927年2月、教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれる。51年、聖心女子大学を経て、54年上智大学大学院修了。56年、ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されて、ボストン・カレッジ大学院に学ぶ。74年、岡山県文化賞(文化功労)、79年、山陽新聞賞(教育功労)、岡山県社会福祉協議会より済世賞、86年、ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞、89年三木記念賞受賞。ノートルダム清心女子大学(岡山)教授を経て、90年3月まで同大学学長
「BOOK著者紹介情報」より
この本を読んだ感想
これまでどちらかと言うと仏教やニーチェ、アドラーなどの哲学に触れてきた私にとって、キリスト教の考えは、私にとってあまり馴染みがなかったのが正直なところでした。
しかし、この本を読むにつけ、私の弱くなった心を支える魅力的な言葉にどんどん引き込まれていきます。
本の作者は禅の信者である相田みつを氏をフレーズを幾度か取り上げており、宗教は異なれど、人生における真理は変わらないのだなと実感する次第です。
以前、相田みつを氏のおすすめの本について書きました。くわしくはこちら
本書は「ていねいに生きる」ことのエッセンスを様々な分かりやすい例を用いて、語りかけるような文章で伝えてくれます。
まるで相田みつを氏のキリスト教版を見ているかのようにスッと心に入ってくるものばかり。
作者が人生を通して獲得した「ぬくもり」を本書を通じて感じることができるはずです。
気になったキーワードをピックアップ
この本を読んで目からウロコのキーワードを解説します。
置かれた場所で咲くことの意義
置かれた場所で咲きなさい。どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう
「置かれた場所で咲きなさい」より
理性をもつ私たち人はどうしても、常に自分の置かれている環境や境遇などを他人との比較で考えがち。SNSやネットの普及もそれに拍車をかけています。
私も一旦心が弱くなると、すぐ隠れた悪魔が私にささやき始めます。
「周りの人は健全な子でコミュニケーションができていいなぁ。それに比べてうちの子は、奇声と自傷行為ばかり。。。」
誰しもが自閉症の子を望んでいるわけではありません。しかし生まれてきた以上、その事実を受け入れ、私の心を入れ替えて、置かれた環境下で生きる意義を模索してきました。
「咲くというのは、仕方ないと諦めることではなく、自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々を幸せにすること」と本書でも述べられているように、境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできます。
他人の行為に不平不満を言い続け「〜してくれない」とくれない族になるよりも、その環境下で自分ができることを探すことが大切。
私はそのために、1つだけ心に決めたことがあります。それは決して「自己犠牲をしない」ということ。
「自己犠牲」を伴うと必ず無理をして「がんばって」しまいます。「がんばる」というのは聞こえが良いですが、心に負荷をかけ続けると、必ずいつか心が折れます。
今私がやりたいことは「筋トレ」「ブログ」「読書」。この時間はとても大切。自分の心を犠牲にせず、少しでもゆとりを持つことが一時的な「がんばり」ではなく、永続的に続けていくことができる秘訣と考えています。
以前紹介した、相田みつを氏のフレーズ「花は咲く、ただひたすらに」も似たような心境を示していますね。

完璧主義の子育てはストレス地獄
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく
「置かれた場所で咲きなさい」より
私の母は結構な潔癖症で、今ではだいぶ改善されましたが、ちょっとでもこぼすとすぐ反応して、小言を言うクセがあります。
このような完璧主義の弊害は至るところに及び、以前は娘の進展のなさに愚痴をこぼしたり、教育がうまくいっているにも関わらず、重箱の隅をつつくようなこともしたりします。
娘はもとより、母も、そして私も人に完ぺきな人はいません。
奇声と自傷行為に明け暮れていた娘に薬を投与してからは、だいぶ症状が緩和されましたが、やはり時折発作が起こってしまいます。
娘を100%信頼し完璧を求めると、発作が起きるたび失望して感情の反応が起こり、つい叱ってしまいます。
2%の心のゆとりを持つことで、「全体的に良くなっているのだから、ここは寛容でいこう」と心を変えることができるようになりました。
またこの信頼の98%の法則は他ならぬ自分自身に対しても有効です。
特にダイエットであまりストイックにやりすぎると、つい暴飲暴食してしまうのは完璧主義が原因です。
心理学でも「どうにでもなれ効果」という面白いネーミングがある心理効果が明らかになっており、完璧を目指すがゆえに、ちょっとした挫折に対して自己価値や自尊心が低下しがち。
心理学の入門に最適な一冊はこちら
ちょっとしたミスや失敗で自分を許せなくなり、ダイエットの暴飲暴食やブログを辞めてしまうなど、さらなる失敗へと繋がりやすくなってしまいます。
最近のブログではグーグルのアップデートでPVが激減。かなり精神的に参りましたが、2%の心のゆとりで、なんとか地道にブログの更新を続けています。
私たち日本人は、細部のきめ細やかさを誇りとしていますが、同時に多数のうつ病など心の病にかかっている人も4人に1人経験があると言われています。
書く言う私も以前2回ほどうつ気味になった経験があり、人の心が壊れるのは簡単だなと、非常に身近な問題として、常に自分の心の状態には気を使っています。
「2%の許す心」を持つことで、自分の過ちを反省に変えていけば、方向性を見失わず、途中で挫折しにくくなります。
自分に対しても、他人に対しても非常に有効な心温まるフレーズです。
親の価値観は押し付けずとも育つ
子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる
「置かれた場所で咲きなさい」より
私たち親になると、娘に「あれしなさい」「これしなさい」とどうしても指図しがち。親の指図に従っていれば、自然と「いい子」になると信じがちです。
しかし子どもは親の指図ではなく、私たちが考える以上に、私たち親の普段の接し方、話し方、習慣、生活様式を見ています。
思えば、年明けから娘の自閉傾向がひどくなったのは、年末にかけて私と母の口げんかが絶えなかったため、その影響をもろに受けたのかもしれません。
春にクリニックに通い、薬を投与し始めてからは、母とも相談し、以前よりも娘に優しく思いやりのある方法で、接しています。
また別居している娘の母とも連絡をとり、育児を支えるパートナーとして娘と頻繁に交流していることも好影響を与えています。
幸い、今では娘の情緒は薬投与効果と合わせて、娘の感受性が以前にもまして豊かになってきていることが日々感じられています。
このように子どもを取り巻く環境こそが、娘に対する指図うんぬんよりもより非常に大きな影響を与えていることを実感する今日この頃です。

さいごに
「もし、今しがらみから離れて自由になれるのなら、私は一体何をしたい?」
今でも苦しいときに自分に問いかける時があります
ところが答えはいつも一緒。「今の生活に心底満足しているわけじゃないけど、やはり娘は放っておけない」と私の脳が訴えてくるのです。
奇遇にも娘の母も同様の心境だったようです。半年前に私、娘と別居を決めて仕事に打ち込める環境になったにもかかわらず、三ヶ月もしないうちに娘に関わらない生活に限界を感じ、娘が彼女の人生にとってかけがえのない宝と再認識したようです。
この「放っておけない」という感情こそが湧き出る「親子の愛情」の源泉なのだなと感じる今日此頃。
20代の頃のように海外のあちこち飛び回っていた方が、周りのウケは良いかもしれませんが、今のように娘の共に感情の泥にまみれるような生活も悪くはないなと感じています。
それこそ、私がこれまでの人生のなかで持ち得なかった「私の人生の意義」であり、飾りは全くありませんが私の中で光る大切な守るべき宝だからです。
他人といたずらに比較せず、自分の人生の意義を感じながら、置かれた場所で自分だけでなく取り巻く私の人々にも心に大きな花が咲くように、自分なりの生き方を貫いていく所存です。
私のブログが今回紹介した本を手に取るきっかけになれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。