【読書・おすすめ本】「それでも人生にイエスと言う」ヴィクトール・E・フランクル 著

こんにちは!
ろんじぱぱです!

実家に引っ越して三人暮らしが始まり、約一年半が過ぎました。

自閉症の娘の自傷行為は未だ収まっておらず、その暴力性で学校、施設、そして祖母まで何かと影響を受け、特に母は不安障害があるため、未だに生活に暗い影を落としています。

うつ病の母 自閉症の娘

このような生活を続けていると、ふと心が閉塞感で満たされ、苦しくなる時があります。

職場の友人などにも話しにくい話題ですし、とかく自分の心に溜め込みがち。私が読書や知的動画を求め続けているのも、常にこの状況から自分の心を守ることに専念しているからです。

読書に現実逃避している中で、本日紹介する本はまさに今苦しい私の心を代弁するに余りあるタイトル。

現在の私の状況など比べ物にならぬ、過酷な収容所を生き抜いた先にたどり着いた希望の力。

「それでも人生にイエスと言う」

この力強いタイトルに心惹かれた私の心を力強く支えてくれた本書は、読むたびに希望の力と生きる強さを与えてくれる、まさに私の福音書。

「生きる意味」を改めて考えさせてくれる、今の時代だからこそ必要とされる「時代を超えて受け継がれるべき」名著です。

以前に人生に希望をもつ大切さについてブログを執筆しました。この機会にご覧ください。

この本に魅せられたキラーフレーズ

「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。今ではもう「人生は私になにを期待してるか」と問うだけです。
我々は問われている存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

著者紹介:ヴィクトール・E・フランクル

1905年ヴィーンに生まれる。ヴィーン大学医学部卒業。1955年からヴィーン大学教授(神経学、精神医学)。実存分析、ロゴテラピーの創始者。ロゴテラピーは人間の意味への指向・その意志を重視し、深層における精神的実存的人間の発見を意図する療法である。1997年9月歿。

「BOOK」データベースより

気になったキーワードをピックアップ

この本を読んで目からウロコのキーワードを解説します。

人生に意味はあるのか?意味はないのか?

私たちは生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問を提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。

「それでも人生にイエスと言う」より

この本に一目惚れしたフレーズです。

不安症と愚痴の母、そして自閉症の娘の三人暮らしの生活は正直言って楽ではありません。日々の愚痴聞きの毎日と娘の自傷行為、正直人生オワコンを感じるときもあります。

母の愚痴は常に「私の人生こうじゃなかった」が中心。人生の意味を「幸せ」に求めた結果、今ある状況がとにかく受け入れがたいと感じます。私も当初、娘の自閉症を診断されたときは同じ心境でした。

母とぶつかりそうになった時、娘が学校から度重なる自傷の報告を受け、塞ぎ込みたくなる時、私は常に「人生から問われている」と考えるようになりました。

「私はどうありたいのか?」

いくらでも不幸を嘆くことができますが、心を没落させたら、幸せはますます離れていきます。

数々の本を読んだ結果、私は心が揺れた時は、私が行うすべての行動の指針を「幸せを誓う」ことに据えて、愚痴を言わず、いたずらに相手や自分を責めずに解決する方法を模索するようにしています。

以前の記事で「幸せ」を作るレシピ本を紹介しました。ぜひこの機会にご覧ください!

「人生に期待する」のではなく、「人生からの期待に答える」

このコペルニクス的転回の考え方は私の思想に大きな影響を与えました。

すべての苦しみを前にしても「どうするか」に関しては私に選択の自由があることを教えてくれたのです。

人は皆、その人の人生経験を調理する料理人です。

もしその人が一流の心を持つなら、どんな人生経験でも、まるで一流の料理人のように、多少の材料の優劣にかかわらず、常に全力を注いで、その材料できる最高の料理を生み出します。

人生もまた明確なレシピはありません。レシピがないからこそ、発想力や知識が問われます。

人生の料理を食らうのは他でもない自分自身。

私はどんな人生の材料でも美味さに変えて届ける料理人でありたいと願っています。

人生が楽しいと思ったことがない人へ

人間は楽しみのために生きているのではない。しあわせは目標でなく、結果にすぎない

「それでも人生にイエスと言う」より

このフレーズも斬新で心に刺さります。

私たち人を含む命のあるモノすべては「快楽」を求め「苦痛」を避けるようにプログラムされています。

しかし人生を料理に例えると、甘いデザートだけでは人生のコースメニューが成り立たないことは一目瞭然です。

人生は楽しさより楽しみ

「甘味、酸味、塩味、苦味、うま味」が凝縮されたのが料理とするなら、やはり楽しみや幸せだけでは、総合的に見て人生を構成することはできないのです。

私たち人の脳は「習慣化」するプログラムがあり、たとえ1億超えの宝くじが当たっても、一年後には幸福度は元通りに戻ってしまうという残念な研究結果も示されています。

「雨」があるから「晴天」のありがたみを感じ、「病」があるからこそ「健康」のありがたみを感じる。

「幸せ」だけを求めるのは単なる人間のエゴであり、人生を俯瞰的に見れば、まるで天気のように、「幸せ」にも「不幸せ」にもそれぞれ意味があるのです。

それを俯瞰的に見るには「心のゆとり」が欠かせません。母に伝えても全く響かないのは彼女の心に余裕がないから。

私が瞑想運動食事を欠かさないのは、なるべく動物的な感情処理を離れ、客観性と理性を高めて色々起こる人生を人間らしく生きたいと考えているからです。

心のゆとり

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

一回きりの人生の重み

苦難と死は人生を無意味なものにはしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味のあるものにするのです。

「それでも人生にイエスと言う」より

この本はこれまでの考えを180度回転させるコペルニクス的転回が散りばめられていて、強烈な印象を残すフレーズがいっぱいです。

兎角、私たちはお金の管理には厳しくしますが、時間の管理にはゆるい傾向があります。

「お金」は目に見えるものであるのに対して、「時間」は目に見えず、しかも無限にあるような錯覚を覚えるからです。

もし人生が無限だったら、人生は充実するでしょうか?すぐ行動を起こすでしょうか?

おそらく起こしません。そしてこう言います。「10年後にやるよと」。

なぜ私たちは「今」を大切にしなければならないのか。命の賞味期限は誰にも分からないからなのです。

思いだけでは何もこの世に痕跡を残せません。行動のみがこの世に生きた証を残すことができます。

2度めの人生

私は自分の20代と30代の怠惰な時代を猛烈に反省しています。しかし人生は戻せません。スタート地点は常に今この瞬間なのです。

これまでネットで浪費していた時間はなるべく読書や意味のあることに。楽しみや喜びは外部より与えられる一過性のものでなく、内部的な自己成長にあることを見出しました。

知識 未完の産物

過去の自分に戻りたくない。後悔したくない。そんな意地のような気持ちが、すぐ怠けてケータイに手を伸ばす自分を今この瞬間も戒めています。

人生が一回しかないからこそ、過去の過ちから、今の人生を二度目の人生を生きているような感覚で自分を叱咤激励しています。

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

さいごに

今私の境遇は、仕事と家庭の往復で地味であり、華やかでありません。

長い人生 臥薪嘗胆

苦しい時は不安の暗闇に包まれ、今の苦しみがずっと続くような感覚に陥りますが、過去を振り返れば、そのようなつらい時期は一時的であることは実感ずみです。

私は今40代。まだまだ不幸に浸るには人生長すぎます。「晴耕雨読」という言葉があるように、今ある境遇を受け入れ、知恵を蓄え、人生から与えられた問いに丁寧にしっかりと応えたい。

その知識と成長の積み重ねが新たな可能性や出会いを生み出します。そんな淡い希望が今の私の心の支えであり、揺るぎない精神の基盤なのです。

私のブログが今回紹介した本を手に取るきっかけになれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。

【読書・おすすめ本】「それでも人生にイエスと言う」ヴィクトール・E・フランクル 著
最新情報をチェックしよう!