【書評・感想】「超訳ニーチェの言葉」 白取春彦 著

こんにちは!
ろんじぱぱです!

私たちは長く生きれば生きるほど、色々なものを自分に背負い、着飾るようになていきます。プライド、恥、大切な人、家庭、名声、地位など、自分の一部を占める大切な要素です。

しかし、自分の意識を常にそれらを守るために外にばかり意識を向けていると、いつしか囲まれた有形無形のものに自分の心が覆い尽くされ、肝心な心を見失い、自分が一体何のために生きているのか、ふと立ち止まった時はないでしょうか?

私が自身の経験不足を感じ、自分を見失いかけて人生の踊り場にいた時に、求めたのは他人の人生の知恵のエッセンス、哲学でした。

今回はそんな私を優しく叱咤激励し、心に石を投げ込んでさざ波を起こしてくれた一冊を紹介します。

この本に魅せられたキラーフレーズ

飽きるのは自分の成長が止まっているから

超訳 ニーチェの言葉 

超訳 ニーチェの言葉 

著者紹介:フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900)

ドイツの哲学者・古典文献学者。1844年にプロセイン王国領ザクセンに牧師の子として生まれた。
ボン、ライプツィヒ両大学に学び、ワーグナーとショーペンハウアーに傾倒した。
若干24歳でスイス・バーゼル大学の古典文献学の教授となる。1872年に処女作『悲劇の誕生』を発表。
1879年に大学を辞し、十年にも及ぶ漂白の中で執筆活動を続けるが、1889年に精神が崩壊、1900年にワイマールに没した。
ヨーロッパ思想への痛烈な批判、永劫回帰、力への意志など、その鋭く独自の思想により、ハイデッガーをはじめとする二十世紀の哲学思想に大きな影響を与えた。
代表作に『ツァラトゥストラはかく語りき』(1883~1885)、『善悪の彼岸』(1886)、『人間的な、あまりに人間的な』(1878)、『ショーペンハウアー』(1874)などがある。

「BOOK」データベースより

編訳紹介:白取春彦(しらとり はるひこ)

青森市生まれ。ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学ぶ。
哲学と宗教に関する解説書の明快さには定評がある。主な著書に
『ビジネスマンのための「聖書」入門』『勉学術』
『頭がよくなる思考術』(以上、小社)、『考えすぎない思考術 成功体質になる24の習慣』(宝島社)、『仏教「超」入門』

「BOOK」データベースより

この本を読んだ感想

私はこれまで哲学にまったく関心がなく、ニーチェも当然知りませんでした。

この本は「超訳」がつくように、ニーチェの当時の言葉を現代風の分かりやすい言葉で紹介してあり、ニーチェについて何も知らなくても、ニーチェの名言集のような感覚でスラスラと読むことができます。

私がこれまで過ごしてきた中で、「こうあるべき」「こうすべき」など、いつしか日本の文化や世間の影響で、形作られてきた心の枠組み。

そんな既成概念を優しく、時には強い言葉で叱咤してくれるニーチェの言葉は確かに私の心を揺り動かしました。

人生に「正しい」「間違い」の正解はない。

「子を思い、家庭を思い、仕事をしっかりこなし、周りの大切な人を大事にできれば、もっと心の赴くままに自由に生きたっていい」

自閉症の育児、娘の母とは別居しながらも、娘への思いでつながり頻繁に交流している現在、すべてが「ふつうの家庭」とはかけ離れた状態です。

その世間や「ふつう」との乖離ゆえに時折心弱くなる時があります。

しかしそんな時に、「形は違えどもこれでいいんだよ」「もっとやってることに誇りを持って喜べ」と心を支えしてくれる力強いメッセージは、紛れもなく今の私の心の財産です。

迷えるあなたに光を指し、人生のベクトルを変えてくれるきっかけを与えてくれる大切な一冊です。

気になったキーワードをピックアップ

この本を読んで目からウロコのキーワードを解説します。

何でもすぐ飽きてしまう原因とは?

飽きるのは自分の成長が止まっているから

人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けていても少しも飽きない

超訳ニーチェの言葉より

ニーチェが最も嫌う哲学の概念に「末人」があります。

末人は、フリードリヒ・ニーチェによる哲学によって用いられていた概念である。超人の対極にあり、最低の軽蔑すべき者とのことである。末人というのは社会において生きる大多数の中流市民でもある。彼らは病気になることと疑うということを罪して考えて生きている。そして互いが摩擦を起こさないように、ゆっくりと歩むようになる。彼らは貧しくもなく富んでもおらず、これらはいずれも煩わしいものであるとされる。人々がこのようになれば、人々を統治しようと誰も思わなくなるし、他人に服従しようとも誰も思わなくなる。人々がこのようになれば社会には牧人はいなくなり誰もが平等であり、誰もが平等を望む社会ということでもある[1]。末人の生き方というのは、ひたすら安楽を求めるということである。社会においての最高価値が信じられなくなりニヒリズムが広がってきたならば、人々は頑張らなくなり創造性を欠いた安楽を求める人間ばかりになるということであり、このような状態になった人間というのが末人ということである[

出典: フリー百科事典 ウィキペディア より

これまで何度かブログで書きましたが、30代の結婚生活は実際、毎日が仕事と家を行ったり来たり。家事はなんとかこなしてましたが、子育ては妻に任せっきりで、一応家庭の父を名乗っていました。

毎日、ネットサーフィンと株をただ見る毎日で、他にすることもなく、気づけば何の成長もなかった日々。まさに程よい快楽に身を委ねた末人でした。

しかし毎日が安定していると心の防御力が弱くなります。

一度ちょっとしたネガティブイベントが起こると、すぐ「面倒くさい」「煩わしい」「疲れる」と心が拒否感を示し、うまくその場を切り抜け、根本的な解決策をしないまま、うやむやにして過ごすようになりがちです。

その積み重ねが、結果的に妻の不満を鬱積させ、昨年の別居につながったことの原因のひとつだったことも疑いの余地がありません。

現在は私の母と二人で自閉症の娘の世話を四苦八苦しながらもその苦労と反省をブログでアウトプットする毎日を送っています。

現在は30代の頃の平穏な日常からは程遠く、時に懐かしさを覚える時もありますが、私はこの数年で一番人間的な成長を感じていますし、退屈感は全くありません。

毎日同じ光景でも自分の心が成長することによって、物事のとらえ方が変わり、難しかった自閉症の育児にも光明を見出していくことに喜びを感じています。

まさに心の成長こそが毎日の風景に色彩を与えるのです。

超訳 ニーチェの言葉 

超訳 ニーチェの言葉 

愛することは受け入れること。見返りを求めないこと。

真実の愛に満ちた行為は意識されない

愛するとは、自分とはまったく正反対に生きているものを、その状態のままに喜ぶことだ

超訳ニーチェの言葉より

以前書いたブログに「見返りを求めない」ことの大切さを紹介しました。

ギブアンドギブ 見返り 求めない 心

私たちが親切を行うと気持ちが良くなります。親切を行うことによって褒められたりすると私たちの承認欲求が満たされ、少しだけ聖人のような清い者に近づいた気分になれるからです。

しかしニーチェはそのような承認欲求に基づいた親切心より、普段の生活で私たちが行う友人や、恋人、身内に親しくする行為は、そもそも善行と考えておらず、そのことが親切を意識した行為よりも遥かに上位にあるものと述べています。

娘は時折奇声や突飛な行動をしては、私たちを苦しめ、時には気が狂いそうになります。

しかし、なぜか私の心から「この子を良くしてあげよう」という湧き出るような愛情が溢れ、ただ娘からは何の見返りも求めずここまでやってこれてきています。

娘を「なにかできるから愛する」という条件付きの愛から「そのままの相手を愛する」と娘のありのままの姿を受け入れることができるようになった時に、人としての愛し方が根本的に変わった気がします。

愛することの深みを教えてくれる含蓄のあるフレーズです。

人生の豊かさをどこに求める?

無限の豊かさは自分にある

君の立っている場所を掘り下げてみよ。泉はその足下にある。

超訳ニーチェの言葉より

今ふと目をやるともう夜中の0時近く。今日は仕事から帰宅してから大忙しです。

娘と遊んで、そのあとチーズケーキを焼いてみたり、その後はひたすらブログ書き。なんでこんなにいっぱい色々なことができるようになったかと問えば、一言「好きだから」の一言に付きます。

「好きだから」生まれる脳内ホルモン「ドーパミン」こそ、私たちが日常の退屈感から開放され、時間を忘れて集中力を生み出す源です。

脳が目覚めるたった1つの習慣

20代の頃は知らぬ土地や人を求めて、ひたすら海外を飛び回っていましたが、40代の今は他ならぬ私自身こそが見知らぬ開拓すべき未開の泉です。

これまで瞑想、筋トレ、食事改善など他人から見れば若干ストイック気味にやっているのも、すべては自分の成長につながるからです。

知的好奇心を満たす日常は永遠に飽きることがないエンターテイメントであり、私自身がその実験台となって得た知識を実践しています。

これまでの成果で、数年前とは比べ物にならないほど肉体的にも精神的にも成長してきました。

昔誰しもが行った「自分探しの旅」。私はまだ「最高の自分」を常に模索しています。

自分の自己能力の最大化を理想に掲げ、一日一日、自分を少しづつ良くして、まだ見ぬ自分の最高の姿を追い求めています。

超訳 ニーチェの言葉 

超訳 ニーチェの言葉 

さいごに

空気や水はなくなると一日たりとも生きることはできない大切なものですが、私たちは、不思議とほぼ考えたことがありません。

大切なものはいつしか当たり前になり、あって当然と考えるようになります。

自分の心もまた然り。

心をないがしろにして、外の世界に反応ばかりしていると、心の形が変わってしまい自分が何なのかわからなくなります。

子供の頃は常に新しいものを求めがちですが、大人になるとそれだけでなく、これまでの当たり前を見直すことが大事です。

友人関係、結婚生活、育児、そして自分。大切なものは常に私たちの身の回りにあります。

もう新しいものはそんなに追いかけなくても充分な世の中。

昔からある泉を今一度見つめ直す。

これこそが私たちの人生を豊かにし、深いものにしてくれる大切な教えのような気がします。

私のブログが今回紹介した本を手に取るきっかけになれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。

【書評・感想】「超訳 ニーチェの言葉」 フリードリヒ・ニーチェ著
最新情報をチェックしよう!