こんにちは!
ろんじえぱぱです!
私が生まれてから現在に至るまで人生は「がんばる」の連続です。日本人はみな「がんばれ」が口グセですよね。
「仕事をがんばる」「家庭をがんばる」「がんばって」。私もそれなりにがんばってきましたが、なぜか不思議とストレスも抱える毎日に苦しんでいました。
最近、私が取り組んでいることはとにかく「がんばらないこと」です!「がんばる」は聞こえは良いですが、なんせ苦しく長続きしません。
如何にがんばらず、楽しむことが人生の秘訣なのではないかと思い、私なりの考えを記したいと思います。
がんばるとは?
がんばるとは 困難にめげないで我慢してやり抜く。
デジタル大辞典
この『我慢して』という部分が、長らく私を苦しめてきた原因です。
人生で初めてがんばったのが受験勉強でした。
がんばって無理して勉強した結果、その後本を全く読まなくなった後遺症が残ってしまい、本をむさぼるように読むようになった現在、この読まなかった20年間を非常に後悔しています。
がんばるとは自分以外の何かのために自己犠牲を払いながら努力し続けること。自分が見出す喜びは少なく、社会的責任や義務感などが動力になります。
周囲の期待、世間の圧、自分の描いた理想像など、行動の原動力は全て自分以外のモチベーション。
自律の精神でなく他律の精神に基づいているため、肝心な『自分』が完全に置き去りになっています。
上手くいっていれば問題ないですが、メンタルにかなり負担がかかる状態が続く。これががんばるの正体です。
がんばるは美徳ではない
このように「がんばる」とは意志力より大きなを力を出す、もしくは意志力に反して行う行為を指します。
仕事をいくらがんばっても一向に仕事は楽しくならないですよね?
それもそのはず。そもそもその仕事をしているのは「お金を稼ぐ」という義務感のみで行っているため、脳の報酬系のやる気ホルモン『ドーパミン』が全く活性化されないのです。
ドーパミンが出なければ、仕事は苦痛そのもの。何とか今日を乗り切ってと仕事を続けていても一向に気持ちは楽にならず、一日何時間も仕事に時間を費やすのはまさに拷問と一緒です。
家庭でもまた同じです。私も以前はがんばって家庭をこなしていましたが、やはりどちらかというと義務感が強かった為に喜びや楽しみを見出すことがあまりできませんでした。
この義務感は通常「~しなきゃ」「~しなければ」という後ろ向きの気持ちから派生した疑似的な「やる気」のため、潜在的にメンタルを消耗させる原因となるのです。
がんばることの限界
これまで呪文のように唱えられてきた「がんばる」。はやくその呪縛から解き放たれないとメンタルに深刻な悪影響をもたらします。
頑張るとストレスがたまる
試しに子供にやりたくないことを無理強いしてみましょう。彼らは100%逃げ出します。
我々大人は、家庭、お金、地位、プライド、様々な理由で仕事などを毎日律儀にこなしています。
しかし大人とはいえ、やりたくないことを無理強いして行っていれば、ストレスホルモンのコルチゾールが体をむしばみ始めていきます。
コルチゾールは我々の体を常に戦闘状態にし、いつでも頭の中は気になることで一杯。落ち着く暇がありません。
コルチゾールによりストレスが慢性化すると腸内環境が悪化します。ストレスで胃に影響を与えるのはみなさんご存じだと思います。
腸内環境が悪化すると『炎症』と呼ばれる現象が起き、ストレスに対して過度に反応した免疫細胞が細菌のみならず、血管まで傷つけ始めます。
慢性炎症はまるで長きに渡る内戦です。
免疫細胞が敵兵を攻撃するつもりが、いつの間にかその土地(血管)そのものを焦土化してしまい、血管が焼け野原になってしまうのです。
ストレスレベルが一定ならいいですが、メンタルを病むようになると不安障害やうつ病の原因になりうるため、自己犠牲を含んだ過度な「がんばる」は特に注意が必要です。
コルチゾールや炎症について詳しくはこちら
がんばると燃え尽きる
私にとって受験勉強が始めてのがんばる。がんばって最後は燃え尽きてしまい、勉強に対して嫌悪感が生まれ、完全に勉強嫌いの遺症が残ってしまいました。
昔のダイエットもがんばった内のひとつ。当時テレビで流行したロデオボーイやレッグマジック、ビリーズブートキャンプなど色々取り組みましたが、結局長続きしませんでした。
何が原因だったのか?それは「がんばる」の正体が『外発的動機づけ』だからです。
外発的動機づけは名の通り外側から来るモチベーション。当時ダイエットに励んだのは流行に乗っただけの上っ面の気持ちでした。
当然、そんな気持ちで続けてもモチベーションは長続きするわけがなく、1回、2回の失敗で心をへし折られ、やがて燃え尽きます。
「がんばる」は短期間で無理して追い込むには効果的ですが、やる気がなければ長続きしないのは自明の理です。
受験勉強も然り。両親の期待に応えるべく、辛抱強く「がんばって」いましたが、その後の反動が大きく大学生活を遊びほうけてしまいました。
頑張るとうつ病になりやすい
仕事や家庭、育児。どちらも「がんばって当然」という無言の世間の圧力があります。
もちろん私たちは尽力をつくしますが、うまく「がんばる」の量を調整しないとメンタルで追い詰められます。
がんばって当然という空気間の中、相談できる人も多くなく無言のプレッシャーから精神的に追い詰められていくことも少なくありません。
もし「がんばる」ことに少しでも自己犠牲心が入っていたら要注意。長期的な観点からすると自己犠牲の精神はマイナスにしかなりません。
頑張らないコツ
私たちは皆、生活をする上で色々がんばっています。ではどのようにしたらがんばらずに過ごせるのでしょうか。
やる気があれば頑張らない
私たちが「がんばる」と思った時点で自分に無理強いしていると言っているのと一緒。
実際、筋トレもブログもストレス度合いで言えば一緒です。
ではなぜ、こちらはストレスを感じないのか?
それは「やる気」や「興味」から来るストレスはストレスと感じず、脳がストレスを成長をもたらしてくれる挑戦やチャレンジと良い意味に翻訳してしまうからです。
ストレスが実際の成長をもたらすと考え、ポジティブにとらえる『ストレスマインドセット』は近年注目が集まっています。
ストレスが害でなく、成長をもたらすものと考えるだけでメンタルヘルスや幸福感、生産性が向上したとする研究結果もでており、ストレスをどのようにとらえるかは生活の質の向上に直接の影響を及ぼします。
私は家庭の困難の状況のストレス解釈を変えました。
日々の課題から学びを得て自己成長し、ついでにブログで発表する種を探し、発表すると解釈し、「がんばる」からストレスマインドセットに切り替えて今の状況をうまく波乗りして楽しんでいます。
頑張ることを当たり前にしない習慣力
私が毎日行っているルーティンを2年前の私に無理強いして「がんばる」を強要しても多分2日間持たないでしょう
今もしルーティンの内容を全てリスト化したらその多さに胃が痛くなると思います。
なぜ続けられるか。習慣だからです。
習慣の最大の魅力は『考えなくても毎日継続して行えること』です。
私たちが毎日行っている所作、育児、家事、仕事、諸々、なぜ続けられるのかはほぼ全て習慣化され、脳が自動プログラミングているから。
私たちの行動の約半分、50%は有意識、無意識を含めて習慣化されていると言われます。
思えばブログも筋トレも最初の一週間が一番つらかったです。脳はもともと変化を嫌うので、新しいプログラムを覚えされるのが一番苦労します。
しかし、慣れてしまえばこっちのもの。始めてガチガチだった車の運転もいつしか余裕でできるようになるように、脳が慣れることで無駄な雑念や感情が消え、ほぼ自動化して作業ができるようになります。
なるべく日常の動作を自動運転化し、習慣化することが「がんばる」の呪縛から離れる一つの方法です。
習慣について続きはこちら
リフレーミングで言い換える効果
先ほどストレスマインドセットにより脳がストレスを成長という良い意味に翻訳するとお話ししましたが、それを補佐する心理テクニックとして『リフレーミング』があります。
リフレーミングとは、ある枠組み(フレーム)で捉えられている物事を枠組みをはずして、違う枠組みで見ることを指す。今までの考えとは違った角度からアプローチしたり、視点を変えたり、焦点をずらしたり、解釈を変えたりと、誰もが潜在的に持っている能力を使って、意図的に自分や相手の生き方を健全なものにし、ポジティブなものにしていくこと」とのこと。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
私の家庭は母と自閉症の娘。正直会話のスピードやテンポに対して満たされているとは思っておらず、そのちょっとした脳の不平不満をブログで密かに吐き出す毎日。
そんな不満を抱いた脳が満足できる場所。それは皮肉にも職場でした(*´ω`)
職場ではお客様とのやり取りで緊張したり、興奮したり、冷静になったりと感情が面白いように激変します。
本来、そのように感情が乱れる職場をストレスの場として嫌っている人が圧倒的だと思います。
しかし私は家庭で錆びついている脳のエンジンが仕事場では全力モードになって高回転を維持できるので、仕事場は非常に学びと活力を得られる場とリフレーミングして解釈し、脳はそれに応えて休日の家庭では得られない充実感を感じています。
当然、遊びに行くとは違う感覚ですが、そのようにポジティブにリフレーミングすることで、職場や日々の業務を学びに変えてストレスマインドセットを強化しています。
がんばるより精進する
私もブログでよく用いる精進という仏教用語があります。
精進(しょうじん)は、仏教用語の梵: vīrya(ヴィーリャ)の意訳語であり、 悪を断ち、善行を実践し、雑念を去って仏道修行にひたすら励む積極的な姿勢 を指す。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仏道修行の目的な言わずと知れた悟りを開くこと。「精進」と「がんばる」が決定的に違うのは「内的動機づけ」か「外発的動機づけ」の違いです。
「がんばる」= 外発的動機づけ + 一生懸命
「精進」= 内発的動機づけ + 一生懸命
一生懸命な部分は共通。しかし精進は悟りを開くという強烈な内的動機づけがあり、一生涯に渡ってやる気のモチベーションに満ち満ちています。
私たちの脳は興味がある分野に対する取り組みに対しては、認知力や記憶力、集中力が段違いに上がることが証明されており、「好きか嫌いか」を感情の司令塔である偏桃体が瞬時に判断して、より鮮明に記憶に残すべきかどうかを決定します。
現に現在私が取り組んでいるブログや読書、筋トレなどは他の人にとっては苦痛でたまらないかもしれません。
しかし、毎日繰り返し継続できているのは、なんといっても「好きだから」の一言に尽きます。
「好きだから」の内的動機づけの力は侮れません。失敗に対するストレス耐性も上がりますし、失敗を恐れなくなり、学びに変えてくれます。なぜなら「良くしたいから」という気持ちが強いからです。
また困難の多い毎日の生活に対して「がんばる」とする考え方を改め、困難を学ぶ経験に変える機会ととらえ、楽しく過ごすよう「精進」に切り替えています。
まとめ
自閉症の育児は確かに「手間がかかる」という意味では大変です。それに加え、母もメンタルは弱く、何かと問題を抱えながら毎日を過ごす日々。
しかし私はもうがんばることをやめました。
この困難から私が学んだ知恵をブログに発表することを「喜び」と感じることで、毎日を「がんばる」ことなく、学びの日々として前向きに向き合ることができるようになったからです。
実際、娘が生まれたからこそ、これだけの自己成長ができたことも感じています。
「自閉症の育児だから大変だ、つらい、がんばる」ではなく「自閉症の育児だからこそ自己成長につながる」とリフレーミングし、育児を習慣化することで、無心に諸問題に取り組むことができ「つらい」という感情を排除することができるようになってきています。
もちろんまだまだ十分ではありません。弱音も時折出るのは事実。
しかし、そんな困難に前向きに向き合うことこそ正に人生ではないでしょうか。色々苦労はありますが、娘をしかるべき所まで導いてあげられるように今後とも精進したいと思います。
私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。
ろんじえぱぱ