こんにちは!
ろんじえぱぱです!
誰もがついこぼしてしまう愚痴。
「悲しい時は泣けばいい」とは言いますが、「愚痴をこぼしたい時は愚痴をこぼせ」とはあまり言われないもの。
悲しいし人には寄り添い、抱きしめてあげることもできますが、愚痴を言う人はそういう美しい気持ちにはなりませんよね?
愚痴は涙とは違い、そこに潜むおおいなる負の影響があるからなのです。
愚痴がもたらすあらゆるデメリット
愚痴は自分自身だけでなく、周りの人の感情も負の渦に巻き込む感染症のような心理的悪影響をもたらします。
愚痴は口ぐせになる
愚痴を吐けばストレスを解消できると思っている人はすでに愚痴の依存症になっています。
愚痴は三毒のひとつ。人を貪り食う猛毒で、愚痴をこぼす人は毎回こぼします。
始めのうちは相談に乗るつもりで聞いていても、結局毎回愚痴を言ってくるので一向に減りません。
当の本人も毒を出したくてたまらないので、話し相手を見つけては毒を吐き続けます。
時折、愚痴の相手になることも友人関係を円満にするうえで必要でしょう。
しかし一番問題なのは愚痴の相談に乗ることによって問題を解決するのではなく、ただ単に愚痴を吐く人のはけ口になるだけで、結果としてその人の愚痴依存が進むことと考えます。
愚痴の聞き役はストレスがたまり時間を無駄に過ごす
『受動ストレス』という言葉をご存じでしょうか?
ニュースやネットで事件や暴力、罵詈雑言等、ネガティブな情報に触れすと知らぬ間に溜まるストレスで、現代社会の人びとの活力を奪っている文明病の一つです。
私たち人間は古代の狩猟時代を生き残る為、常にネガティブ情報を取り入れては対策を練って生き抜いてきました。
その為、人はポジティブな情報よりネガティブ情報に6倍近く反応し、感染することが明らかになっています。
一日仕事で頑張ってもひとつのミスで全てが台無しになってしまった気持ちになるのは、私たちがネガティブに対して過剰な反応をする生き物だからです。
毎日愚痴を聞いている皆さん、ストレスがたまりませんか?
始めは悩みを解決してあげるつもりが愚痴の吐き溜めになってしまい、結局ストレスを抱える羽目になってしまいます。
ストレスを抱えるだけではありません。愚痴を聞いていてもまた愚痴は湧いてきます。キリがないのです。
出口のない道を探すことに付き合うことは非常に聞き役の人の時間を無駄に奪います。得するのはストレスを発散してる本人だけ。
愚痴を聞いている人は時間を奪われている上にストレスを抱えて何のメリットもないのです。
愚痴ばかり言っていると友達を失う
愚痴を聞いてもらえるのは始めの数回のみ。どんなに親しい人でも愚痴ばかり言っていると心底嫌われ、愚痴り屋のレッテルを張られてしまいます。
愚痴ばかり言う人は問題があっても他人のせいにして解決しようとしないため、生きる姿勢が基本的に後ろ向きです。
人が魅力を感じるのはエネルギーや情熱がある人。熱量は人を引き寄せる魅力があるのです。
後ろ向きで消極的な姿勢を続けると始めは同情を買えますが、いずれ人の心はあなたから離れていくでしょう。
本気で行動するメリットはこちら

愚痴は生産性がない
愚痴の最大の問題はせっかくの課題や問題から何も学ぶ姿勢がないことに尽きます。
問題を抱えて愚痴を吐けば、全ての責任を他人に転嫁することができます。
「悪いのは他人」「私は悪くない」を繰り返すことは永遠に課題から自分を守り、他人を貶めることでしか自分を保つことができなくなります。
愚痴は他人の時間を奪い、ストレスを与えるだけ与えます。
しかも肝心な自分は全く学ぶ姿勢がなく、他人を貶めては自己愛を守り続ける。
そんな愚痴には全く持って生産性がなく、厳しい言い方をすれば、双方にとって時間の無駄と言えるでしょう。
愚痴をやめることによる効果
わたしたちも人である以上、弱い生き物です。時折愚痴りたくなる気持ちも当然あります。
大切な心構えは愚痴に依存して自己の成長を止めるのではなく、愚痴を言う代わりに、そのストレスフルな状況を振り返った中で何ができたのかを生産的に考えることです。
愚痴をやめたいなら人のせいにしない
問題や悩みがあったら、まず他人のせいにすることを止めることを第一のマナーとしましょう。もちろん中には理不尽なことがあることも理解しています。
大切なのは自分が何ができるのか。他人をコントロールできる範囲はごくわずか。それに比べて自分はほぼ100%コントロールができるからです。
問題に直面した時に自分がコントロールできる範囲内で何ができるかを最大限考えることです。
自責思考についてはこちら
悩みがあったらただ愚痴るのではなく、何が自分のコントロールできる範囲内で行動できるかを自責として考えてみましょう。
愚痴と悩みは違う
悩み事があれば、相談しますよね。そして友人や親しい人に真摯にアドバイスを求めると思います。コミュニケーションが相互に成り立っている状態です。
それに対して愚痴はほぼ一方的。会話の内容の大部分がストレス発散の一方的な押し付けになり、話し相手はただうなずくだけ。会話が成り立っていない状態です。
一方的に球拾いばかりさせられたら、誰だってうんざりですよね。
悩むなら愚痴の代わりに考えよう
私の母親はいつも愚痴をいいます。将来の不安から世間体、娘の状態、きりがありません。
問題は愚痴るだけで何も対策を考えてないことです。
雨が降ることをいつまでも心配している位なら、今できることは雨避けの場所に行くか、傘を用意すればいいだけです。
今を疎かにして傘を準備せず、ただ雨が降ることを不安がって愚痴を言うことは誰がどう見ても生産的ではないと断言できます。
天気をコントロールすることはできませんが傘を持つか持たないかは自分のコントロールの範囲内です。
もちろん、行動の全てが正解とは限りませんが、常に悔いを残さない選択を選ぶことができ、自分で選んだからこそ、その選択肢に自分の全てをぶつけることができるのです。
自分が主体的に行動すれば失敗しても知恵という学びが生まれます。
失敗から知恵を学び次に活かす。失敗と成功を繰り返すたびに選択肢の質が上がり、常に自分の頭で考える癖は必ず人生に自責思考と行動の実りをもたらします。
主体的に行動しよう
愚痴を言わず悩みに対して自分で主体的に考え、前進する姿は人を惹きつける本来の生き方でです。
全ての行動の成果が何よりも自分の糧や実りになり自分の人生を豊かにしてくれます。
また悩みや苦しみは自分を成長させてくれる糧とマインドセットを変えることで、ストレス耐性がつきますし、積極的に解決策を見出そうとする姿勢になります。
私も離婚を決断したのは世間のイメージを守るよりも現状とお互いのことを二人で考えた末に主体的に決断したものです。
何度も自分で考えた末の結論だったので無論、後悔と悲しみはありませんし、むしろ離婚という人生経験を通して、自分の考えがまたどのように変化していくのかを楽しみにしています。
妻にも彼女の人生を家庭に縛り付けず思い描いた目標に向かって突き進んでもらいたいですし、娘と母の関係も維持することも可能です。
もちろん人生のすべてに正解はありませんが、経験の積み重ねと知恵の学びが自分の人生を正解の代わりに豊かな実りになるでしょう。
過去の学びについてはこちら

さいごに
愚痴は一種の依存症でタバコのようなものと考えます。愚痴を言うばストレス発散で気持ちがいいですが、その気持ちの良さに依存して何回でも愚痴を言うように脳が収監されてしまいます。
また愚痴を受けている方は正に副流煙を受けているに等しく、受動ストレスを受け続けると、いつの間にか累積したストレスからメンタルに悪影響を及ぼすでしょう。
正に愚痴は「百害あって一利なし」なのです。
「愚痴は言うもの」というマインドセットを外して、愚痴を言う代わりにどのような実りのある行動ができるかを考えること。
自然に自分の姿勢が前向きになり、他人に依存しない自律した行動ができることを約束します(*´ω`)
私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。
ろんじえぱぱ