【平常心 コツ】平常心の意味と保つ方法

こんにちは!

ろんじえぱぱです!

『平常心(へいじょうしん)』という言葉を聞いたことがありますよね。

現代での一般的な言葉のイメージは、いろんな困難にぶつかっても物事に動じない、揺れ動くことのない心理状態で、 まるで一枚岩のような頑丈な心をイメージします。

はたして心はまったく揺れ動かないことが可能なんでしょうか?

禅語の平常心【びょうじょうしん】

実は『平常心』という言葉は禅語からきているらしく、禅語では『平常心是道(びょうじょうしんこれどう)』という言葉があり、意味は『まったく心が動じない』という意味ではなく、『ありのままの心を受け入れる』意味で使われています。

平常心(へいじょうしん)は動じない心の意味

平常心(びょうじょうしん)はありのままの心の意味

お互いの共通項を探せば、『平常心』とはありのままの心を受け止め、物事に動じない心であると定義づけることができます。

人には喜怒哀楽の感情があり、反対に感情があるからこそ人であると言えるでしょう。

その意味で、禅語の平常心(びょうじょうしん)とは、時々の感情に揺れ動く心こそが自分の真実の姿であり、その心に向き合うことの重要性を説いています。

真実の自分とは?

変わる自分の仮面

英語で人を意味するパーソン『PERSON』はラテン語のペルソナ『PERSONA』が由来とされています。ペルソナの意味は『仮面』ですね。

わたしたちは世間など他人の承認欲求に基づいて、自身をそれに合わせるよう潜在意識の中で仮面を形成しています。

恋人の前の自分、職場での自分、友達の前の自分、両親の前の自分。

同じ自分でいても素を出したり、出さなかったり、だいぶ違いますよね?

実は私たちは、自身の様々な自我をその時のシチュエーションに応じて使い分けているのが実態です。

問題はあまり本来の自分とかけ離れた自分(他人から見て理想の自分)を演じ過ぎていると、真の自我が隠れ、自分の本当の姿が見えなくなります。

これが長期的に及ぶとややがて心と体に異常をきたし、うつ病など精神的な病にかかりやすくなります。

仮面を受け止めつつ仮面に流されない心

私はそのヒントが前回のブログでお話しした瞑想にあると考えています。

瞑想中は左脳によってさまざまな感情が引き起こされ、色々な考えが頭の中をめぐることを実感できると思います。

左脳の損得勘定によって引き起こされた感情や思いは自分の真実の姿であり、ありのままの自分です。

たとえ他人には言えないような感情や考えが出てきても、それを否定せず、ありのまま肯定することにより、真実の自分の姿が見えてきます。

 

この『心の受け止め』が非常に重要になります。

たとえ他人に公表できないような気持ちや感情があったとしても、それを否定せずありのまま、そのまま受け入れることです。残酷な自分、普通じゃない自分、ネガティブな自分、誰にも言わないのだからせめて認めてあげましょう。

それで心がだいぶ落ち着きます。自分の真実の心を受け止めるのです。

始めに真実の心を拒否しようとした理由は他人の承認欲求に基づいた『理想の自分』にとって不都合だからです。

『こんなことを思うなんて私のイメージじゃない』とか『こんなこと言ったら嫌われる』とか、他人の期待に背かない為のセルフイメージを守るため、偽の自分が本当の自分を否定してくるのです。

その障害を乗り越えて、湧き上がってきた気持ちを肯定すれば、『ああ自分はこう考えているんだ』と素直に受け入れることが出来るはずです。

『好き』なら『好き』、『嫌い』なら『嫌い』、『うらやましい』と思えば『うらやましい』。なんでもいいんです。

口で他人に表現する必要はありません。ただ自分の心には誠実に向き合いましょう。

気持ちを客観視する意味

自分の心を受け止めることが出来たら今度は右脳の出番になります。

瞑想によって浮かび上がった心の姿を右脳によって横から客観的に観察してみます。気持ちを客観化すると、真正面からでなく横から眺める感覚になります。

まるで感情の川の流れを岸辺に立って見ているイメージです。

すると自分の心の境遇を違う角度から観察することができるようになり、心に余裕が生まれます。

客観化が有効な理由として分かりやすい例を挙げます。

悲しいニュースを見れば当然いたたまれない気持ちになりますが、親しい友人や身内が悲しみに遭遇したほどショックは大きくないはずです。

お菓子食べながら見ることもできるはずです。ところが、これが親しい仲間の中で発生したら、お菓子どころではないですよね。

自分の気持ちを客観視できれば、冷静に状況を分析でき精神的なゆとりが生まれます。

瞑想を繰り返すことにより客観化を磨き上げれば、自分自身の状態をその出来事から意図的に遠ざけて見ることが出来るようになり、その結果、自身の感情の上下に付き合わず、冷静に現在の自分の感情の状態を把握できるようになります。

その上で捉えた感情を観察し、感情に流れずに次の行動は何にすべきかを冷静に判断するこが可能です。

 まとめ

『平常心』とは何かを改めて考えてみると岩のような硬いイメージではないことが分かってきます。

人には感情があります。感情は否定することが出来ません。

心の状態を岩のように否定し続ければ、やがて心は病み、体に変調をきたし、うつなどの症状が出やすくなります。

そのような平常心では短期ならいざ知らず、長期的に維持することは不可能でしょう。

まるで岩に突然亀裂が入ったり、崩落したりする自然現象の如しです。

心の幹が揺れれば、それを感知し揺り返して正常に戻す。

真の平常心とは柳の木や青竹のような雨や風に負けない『心のしなやかさ』にあると考えます。

私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。

ろんじえぱぱ