はやいものでもう5月も終わり、6月になりました。もう2019年も実質半年過ぎたことになります。思えば、アウトプットの手段としてブログを書こうかと思いついたのは今年の1月でした。
半年経って、2,3日に1回の更新ですが、なんとかブログを書き続けている状況です。幸い今のところ、飽きることもなく続けられており、私の人生に新しい刺激の一つとして楽しさをもたらしています。ブログ書くって楽しいですね!
さて、今日のわるーい口グセは【なんで俺(私)って】です。私だけですかね? けっこう自分を許さない人って多くありませんか?
心への自傷行為
実は私は昔から自分をよく否定して、なにかあると激しく自分を責め立て、追い込むクセがありました。
仕事で起こられた時や株で損失を出したとき、さまざまな自分が原因でネガティブな問題が発生した時は、くよくよそのことを引きずりましたし、株で大損失を出したときは衝動的に自分のほほを叩いたりしたこともあります。
結果的に自分を傷つけて何か変わったかというと結局何も変わらなかったです。ただ、その時感じた怒りの衝動をどこにぶつけていいか分からず、自分がふがいないことに原因を見つけて、自分をあらゆる手段でいじめぬくという心への自傷行為をおこなっていました。
このような自己否定を続けているとやがてその悪習慣に取りつかれて自己救済がしにくくなってしまうようになります。なぜ自尊心が低かったのでしょうか?
自尊心が低い理由
なんで日本人は自尊心が比較的低いのでしょうか。
日本教育の集団主義
自尊心を考えるうえで、まず日本の教育の方針が挙げられます。日本の教育はどちらかというと個性を伸ばすというよりも、むしろ如何に輪を乱さず、集団生活を営むために規律正しく行動することに重点が置かれているように感じています。
私が育った環境でもみんなの流れに従って受験をし、高校、大学へ進出し、そして団体で就職すると、すべてみな同じような集団行動で人生を進行していきます。この皆に合わせて『なんとなく』人生を進んでいるという自責の少なさが、日本人独特の楽天主義を生み出していると考えています。
海外の学生との自意識の差
私が海外に留学して衝撃を受けたのは、当時私より若い十代の人たちがしっかりと自身の夢や希望を語り、それに沿う形で大学の授業も専攻していました。
それに比べて、私が海外に来た理由がただ英語を学びたかっただけなので、そのモチベーションの違いに少し恥ずかしい思いがありました。自分の目標をしっかり定めて生きている人は自然と自尊心にも違いがでると感じました。
謙遜の文化と完璧主義
良く褒められた時にわれわれ日本人が話す『いやいや~』は美徳を表す美しい謙遜フレーズです。それが身に染みていると、一見自尊心が低いようですが、そのウラで自分の目標が高くなりすぎていて、よほど求めるものと完璧に近くなければ、自分を許さないという完璧主義を生みだしがちです。
たとえば昔、テストで95点を取って、なぜあと5点取れなかった!と激しく自分を責めたこともありましたが、ある意味95点とったのだから、本来自分を褒めるべきですよね。その上で足りなかった5点をどう取るかを考えるべきであって、このような完璧主義はかえって自尊心を容易に損ねる原因にもなりかねません。
失敗を恐れる
このような完璧主義のプライドは時として、失敗をすることを恐れて行動しにくくなる悪循環を生み出します。
当時私が出会った海外の日本人留学生は完璧な英語をあれこれ考えて結局あまり話さない静かな人が多かったですし、先生からへたくそでもいいからとにかく数多く英語を話せ!と言われ続けていました。
私もこれまで日常生活を営んでいて、あまり新しいことに挑戦しなかった理由の一つとして、自尊心の低さを隠すプライドを守るために完璧にできない理由を見つけては失敗を恐れていたことと考えています。
結果的にそれが何もしない怠惰な毎日を生み出し、この10年間で何も成長しなかったことを非常に後悔しています。
小悪魔のプライド【偽りの自尊心】
私たちはみな自己愛が強いため、ほんとうは自尊心が低いことに非常に気づきにくくなっています。その代りに偽りの自尊心を満たす小悪魔『プライド』が登場します。
他人をよく批判する
あなたの周りに人をよく批判する批評家はいませんか?よくある上から目線ですよね。分かったかのように言う人。
その度合いにもよりますが、基本的に他人をおとしめて自分のプライドを上げる人がよく他人批判をします。批判することによって私は他人よりも高い地位にいると主張するわけですね。
よく自慢する
お金がある。地位がある。有名人を知ってる。ブランド品を持っている。自尊心が低いから身の回りの飾りを自慢するわけです。偽物のバッグが”ルイヴィトン”と大きなロゴで強調するように、自分に本当の自身のない人は周りの品や人を自慢することによって自分の心の地位を上げようとします。中身は空っぽですけどね。
わがまま
よく自尊心が高い人がとる行動と誤解されます。これは小悪魔のプライドから生み出される悪癖です。自尊心が低いがゆえに他人をコントロールし、束縛する。他人を信用できない、携帯を隠れて見て行動を監視する。低い自尊心がプライドによって自己の優越感を満たす悪しき例です。
他人を嫉妬したり、いじめる
自尊心が低いと自分に自信がないため、必ず、周りの人と自分をよく比較します。周りが低ければうれしいですが、どうしても勝てない要素になると、嫉妬したり、その対象をおとしめようと画策したりします。
このように自尊心の低さを隠そうとする小悪魔【プライド】は弱い心のスキマに入り込み、偽りの自分を作り上げます。その虚像が積み上がるにつれ、いつの間にか本来の自分から離れていき、やがて人々の信用を損ね、あなたの心に暗い影をおとす原因にもなりかねません。
真の自尊心の回復
では本当の自尊心とはどのようなものでしょうか?またそれを回復するにはどのようにすればよいでしょうか。
自己受容
ウィキペディアのよると”自己受容(Self-acceptance)とは、あなたが今置かれている状況を愛し、満足することである。いまの時点の自分を、評価し、検証し、受け入れ、サポートすることを、自分自身と合意すること”とあります。
『ありの~ままの~』で話題になったアナと雪の女王で有名になったあの歌詞に凝縮されています。そう、ありのままの自分を受け入れることが大切です。えっ?自分に自信がない?そりゃ誰だってないっすよ!
でもこの世界で頼れるのは自分以外に誰に頼れますか?その自分を傷つけたところで誰も救われないですよね?
自分を傷つけるのも自分。自分を救済するのも自分だけなんです。他の誰も自分の心に入ることはできません。子供も妻や夫も恋人もです!自分の心の管理は自分だけがしかできません。
どんな自分でもかまいません。劣等感の塊でも構いません。ただ世の中で自分自身がそれを受け入れるという心構えを持って下さい。
自分が自分を信じられなくなったら、どんな行為も心が入りません。自分だけが自分の心を守り、心に対してうそをつかず誠実である必要があります。
いいんですよ。周りとの意見が食い違っても。心の中では自分は意見が違うんだと認めることが大切です。そのあと口に出すことは同じはないかもしれません。
自信がなくて、いろいろなことができなくてもいいんです。まずはそのような弱い自分を認めましょう。
認めること。そして決して自分を傷つけないこと!!自分を否定しないこと!!
もしできなければ、少しずつ学べばいいだけの話です。視点を現在に向けて、足りないところを埋めて、成長すればいいだけのこと。焦る必要はありません。ただ何を成すにも主人公は自分しかいません。自分を心から大切にしてください。
自己肯定感を高める
ウィキペディアでは自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉と記載があります。よくスマップで歌われた『世界に一つだけの花』の歌詞が分かりやすい例になるでしょう。
皮肉にもこの資本主義社会は競争を誘発し、常に他人と比べ優劣を争い、お互いを出し抜くことをベースに社会全体を物理的に豊かにするように発展してきた社会です。
しかしベストワンを目指す社会ではナンバーワン以外は全員が敗者になってしまい、大半の人間が不幸になる社会と言っても過言ではありません。
実際、資産の面では格差社会と言われ、ことさら財産の有無を人の価値ととらえる傾向がマスコミやテレビによって作られ、自尊心が低く個性がない私たちはそれを鵜呑みにして、それこそが人の価値だと信じてきました。
しかしながら、わたしたち人はみなそれぞれ違います。当たり前ですが。大切なことはみんなの中でのベストワンを目指すのではなく、自分を肯定して成長し、成長面で自己ベストを目指すことだと考えます。
自分に集中して他人と比較しない
もし、自分が100メートル走をしていたら、相手の動きだけをじっと見ていますか?見ませんよね?自分のことに集中していれば、そんな余裕はないはずです。いつも周りの人や物事に気を奪われる人は、ある意味、自分に集中していない証拠です。
自分だけに集中し人生を楽しんでいれば、周りのことはあまり目に入らなくなります。他人のことなんて、いい意味でどうでもいいじゃないでしょうか?最近テレビを見なくなった理由も同じです。
芸能人のスキャンダルや恋愛、セレブな食事、都内一等地の豪華な一軒家、そんなものほんとにどうでもよくありませんか?全く知る必要のない無駄な時間と知識です。その報道で一喜一憂するのは本当の人生の無駄遣いと言えます。
心の手綱を握る
私が心をいじめ続けていた理由は【自己憐憫】という『自分で自分をかわいそうと思うこと』が挙げられます。思い返せば、20代は変に高学歴で海外留学経験からプライドが高かったことが挙げられるでしょう。
歪んだ自己愛というプライドがナルシスト化し、なにか失敗したり、叱責を受けると、自分をすぐ悲劇のヒロイン化して、自分は悪くない、環境や状況など、自分以外に責任転嫁し、その歪んだ自己愛を必死に守ろうとしていた気がします。
ただそこには当然成長はなく、変わらぬナルシストの自分が残っただけでした。小悪魔であるプライドに邪魔され、ほんとうの自分と対話できるまでに数年の月日が流れました。
まとめ
今の自分は能力に関しては以前と変わらず全く自信がありません。しかし謙虚に自分の至らなさを認め、自分に向き合い、足らないところを伸ばそうとする自分に誇りを持っています。そしてそのようなでこぼこな自分が何よりもまして大好きです!
私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。
ろんじえぱぱ