神社で願い事をしなくなったワケ

  • 11/24/2019
  • 11/24/2019
  • 思考

こんにちは!
ろんじえぱぱです!

お正月になると毎年初詣に行きますよね。

私も正月三が日には近くの神社に欠かさずお参りし、毎年恒例の年初めの行事になっていました。

ところが2013年を境に神社に初詣で行くことをやめてしまいました。理由は私の父親がその年に病に倒れ、翌年に無くなってしまったからです。

これまでの願い事が全て裏切られたように感じ、拝むことに心理的抵抗が起こってしまったのです。

叶わない願い事

思えばこれまでの私の願いは単なる欲望の羅列でした。

「お金持ちになりますように」「病気になりませんように」「娘の自閉症が治りますように」など、ただ自分の願望だけを祈るだけ。

これまでの願いの本質は全て『他力本願』だったのです。

『他力本願』とは 主に、宗教的意味を伴わない文脈で、「ひと任せ」「他人依存」「第三者に任せっきりにして自分の手を一切汚さずに物事を完遂する」「(太陽の働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働きなどによる)成り行き任せ」などの意味で使用される。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

願い事をしたらまたいつもの自分に逆戻り。何ら努力をするわけでもなく、ただいつも通りに時を過ごし、変わらない毎日を送っていました。

結果的には願い続けて30年経った現在でも大きな病気になってないことぐらいしか願いは叶っていません。

口だけで行動がなければ、長年祈りをささげても誰も願いをかなえてくれないことをようやく悟り始め、父の死で一気に目が覚めたのです。

失敗の本質は成長しないこと

19世紀のドイツの哲学者フリードリヒニーチェの言葉に『末人』があります。

末人(まつじん)とは社会において生きる大多数の中流市民でもある。末人の生き方というのは、ひたすら安楽を求めるということである。社会においての最高価値が信じられなくなりニヒリズムにが広がってきたならば、人々は頑張らなくなり創造性を欠いた安楽を求める人間ばかりになるということであり、このような状態になった人間というのが末人ということである。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニヒリズムとは虚無主義とも呼ばれ、物事の全てに価値を見出したり価値を感じることを否定する哲学的な立場を表すもの。

私も以前は「有名な企業に入りたい!」「出世したい!」「金を稼ぎたい!」など沢山の夢を持っていましたが、30代の半ばを過ぎれば、そのような夢の現実性も明らかになってきます。

ちょうどその頃結婚したことで家庭の夫としての価値がつきましたが、実際の生活はその価値にあぐらをかいて、あまり家庭的なことに参加していませんでした。

そんな折、『末人』という言葉に触れ、衝撃を受けました。100年以上前の哲学者が現在の私の状況を正確に言い当てていたからです!

正に私は毎日を当てもなく過ごす末人でした。その日その日の快楽を探してはネット遊びに興じ、仕事と家庭を行き来することで自分を納得させていただけでした。

何も挑戦しなければ人生は動きません。挑戦すれば必ず失敗はつきものです。

失敗の本質を『糧』ではなく、『恥』や『煩わしさ』と考えていた私は、自己成長がない『退屈な人生』を送っていました。

毎年なんとなく過ぎてゆき、思えば40代になったというのが30代の感想です。

何も挑戦しない人生は何も得るものもなく、当時は3年前や5年前の自分と比べてもいつも一緒。

太った容姿も適当に手を抜いて生きるような考え方も全く変わっていませんでした。

自分の能力に見切りをつけ現状に甘んじ、挑戦や成長することをやめた私は、もはや努力という言葉を完全に忘れ去っていました。現代の立派な末人になっていたのです。

願い事を引き寄せるには?

私の大好きな言葉にアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの祈りがあります。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する知恵を与えて下さい。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

私の父が亡くなってから人生の流れが急に激動し、現在では自閉症児のシングルファーザーになり、同居の母は不安障害がある上に先日初期乳がんを告知されたり、現在さまざまな困難に直面しています。

客観的な幸福感でみれば、私はさぞかし人生の底のような感じを受けるかもしれませんが、主観的な幸福感は必ず自分に委ねられています。

自分が不幸と思ったらその瞬間に負の感情に飲みこまれますし、不幸と思わなければ意外と冷静に受け止められるものです。

願い事は沢山あります。自閉症が治ってほしい。母の不安が治ってほしい。数え切れません。

大切なことは願い事を胸に秘めながら、毎日その日一日できる精一杯のことをやること。ただそれだけです。

願い事はそもそも一日で達成できるようなものはありませんよね。

お金を稼ぐ、自己成長する、ダイエットする、全て一日して成らず、時間が形を変えるもの。

願い事の期待先を良い結果でなく、日々のプロセスに置くことによってその日自分が願う事を確実に達成できるよう精進しています。

ダイエット、筋トレ、同じ思いで毎日を過ごし、一年間続けたらまるっきり変わっている自分になっていました。

その成功体験をもとに、今はブログでの成功の願いを秘めながら、毎日の経験を知恵に変えるべく精進しています。

まとめ

以前の私の考えでは起こったすべての不幸は神社に参拝しなかったことが原因と考え、自分を激しく責めていたかもしれません。

しかし今はその不幸を神社に参拝しなかったからと怨むことはなく、むしろ安易に運気を求めて自分の努力を怠ることの方が問題だと考えるようになりました。

大切なことは運命を冷静に受け止め、その中で自分ができる行動を一生懸命毎日繰り返すこと。ただそれのみなのです。

天を恨んでも仕方ありません。変えられるのは自分だけです。

自分が運命を受け止めることができるような強い心と体を日々作り、それを学びに転換することによって、より密度の濃い人生を送ることに意義を感じています。

私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。

ろんじえぱぱ

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