【自責 思考】自己の成長には他責より自責を!

こんにちは!

ろんじえぱぱです!

『自業自得』という仏教用語をご存じですか?

一般的には悪いことをした人に対して『ざまあみろ』みたいな意味合いで人の失敗をあざける際に用いられますが、本来の意味を調べるとなかなか意味深いです。

 

『自業自得』とは

『自ら行った善悪の行為によって、本人自身がその報いを受けること。良い行為によって良い結果がその本人に生じ、悪い行為によって悪い結果が本人に生じること』

分かりきっていると思われるかもしれませんが、この言葉が深い訳は私を含めて人はみな『自分に甘く他人にきびしい』に代表される自己愛があります。この自己愛の存在が責任の所在を不明確にして、自身の成長を妨げる非常に大きな障害になる可能性があります。

 言い訳は自己愛の証明

私自身の例で、仕事上で失敗した時、一番目にくる感情は『やばい!やっちまった』。

その後に『どうやってリカバリーしよう?』となりますが、同時に必ず頭の片隅に『忙しかったから』、『~をやっていたから』『こんなに頑張っているのに一つのミスで台無し』など、自分を擁護するいわゆる『言い訳』が必ず同時に感情として浮き上がってきます。この感情が自分を本能的に守る自己愛の性質なのだと理解しています。

 自己愛が引き起こす弊害

仕事の失敗の事実は自分がしたこと。その事実は変えることが出来ません。ただその事実に対して、なぜ、他責が生じる原因は『恐怖』や『不安』から自分を守るため『自己愛』が強くなることが原因です。

仕事の例でいえば、職場内で、または上司の中で、自分が今まで築き上げてきたイメージが崩れてしまうことに対する恐怖、『また叱られる』などネガティブな感情が挙げられます。この際、上司に怒られるとか、イメージダウンとかは、自己愛からの雑念で、他人に認められたいという承認欲求からくる自己愛です。

承認欲求は他人に感情を依存しているため、自身でコントロールができません。しかしそのようなネガティブな感情に支配されると感情が乱れ、それを補正するために自身の精神を正常にさせようとする意識が働きます。

このため『自分が悪いのではない』『仕方がなかった』など、自分をオブラートで包む作用が自己愛の作用です。この傾向が強い人ほど、何かトラブルが生じた際に、自分を守るためにひたすら他人のせいにしたり、お客のせいにしたり、はたまた環境や上司のせいにしたり、とにかく自分自身を守ろうと必死に他に責任をなすりつける『他責』状態になります。

 自分のプライドの成長につなげる

問題はそのあとです。『自業自得』の観点から見て、他責の精神は果たして健全でしょうか?善い行為に当たるでしょうか?他責中心でたとえその場をやり過ごせても、人生は続きます。また同じ失敗をしても人のせいにしますか?環境のせいにしますか?

これは自身の成長にとって非常に重要な分岐点と考えます。そこまでして自分を守るのは自分の自己愛という名の『プライド』です。プライドは訳すと『自尊心』、『誇り』ですよね。しかしそのように用いられる『プライド』は果たして『誇り』でしょうか?

 

むしろ『おごり』ではないでしょうか。自分の成長に焦点を当てれば、そのようなプライドは障害以外の何物でもありません。プライドを自分を守るために置くのはやめましょう。

ではどのようにしたらよいのか?自分の成長に『プライド』を乗せるのです。

  まとめ

自分の成長に『誇り』を持つ。この思考が自分自身の持つ視点の全てを転換することが出来ます。 成長に視点を向ければ、その中での失敗は自分が至らなかったことを示してくれた改善への最大の機会です。

なぜそれを活かせないのか?

理由は自身を守るプライドです。そのプライドをわきにおいて、失敗の事実を少しの恥と共に受け入れましょう。

『受け入れは一瞬の恥、受け入れぬは一生の恥』です。

事実をそのまま受け入れれば、あとは目的が一つにしぼれます。『どうやって同じ失敗をしないか』になりますよね。つまり自己改善につながります。

常に失敗から内省し、次に自分ができる精一杯のことをする。

これが本来の『自業自得』になり、そのようなポジティブな精神の”業”を”得”れば、仕事のみならず、自分の身の周りでおこる全ての事柄に対して前向きな気持ちで向かっていけると信じています。

私のブログから何か少しでも皆さんの考えの一助になれば幸いです。お読みいただきありがとうございました。

ろんじえぱぱ